「平等論者」ほど「差別主義者」である
残念ながら私はデートというものを片手で数えるほどしかしたことのない、社会から見放された男である。しかし「デートの妄想」は人の何千倍もしてきたし、情報サイトで「おすすめのデートスポット」「夜景の綺麗なレストラン」「上手な女性のエスコートの方法」などについてはその辺の輩よりは調べていると自負している(これを俗にいう「机上の空論」というのである)。
最近の女性はデートで「割り勘」を望んでいるということを聞いた。しかしそれは本当に割り勘なのだろうか。
割り勘とは「(デートに)かかった費用(例えば食事代や遊園地などの入場料)を彼氏・彼女で折半すること」だが、女性の主張する「割り勘」はこの割り勘ではないようだ。
10円単位で折半すれば「ケチ」、交通費(ガソリン代など)を請求しても「ケチ」、コーヒー一杯奢らなくても「ケチ」。割り勘とはなんだったのだろうか。
割り勘にして「ケチ」と言われるくらいなら自分が全額出すくらいでいいし、結局「奢られたい」「自分が少なく払いたい」と少しでも思うなら「奢って(はーと)」と素直に言えばいい。しかし、社会的風潮として平等を声高に叫んでいる以上それはできない。
女性専用車にしてもそうだ。痴漢をする輩が最も悪いのは承知の上だが、それが女性専用車に男性が乗ってはいけない理由にはなっていない(鉄道会社のルールは置いておいて)。普通車両の混み合いが女性専用車の倍以上あったりして、非難を受けてしまう。
「女性が活躍できる会社」と言うが、今どき「女性が活躍できない会社です!」なんて言うわけないし、そんなことを言ってしまえば団体から「男女差別だ!」と言われてしまう。同様に「男性が活躍できる会社です!」というのが何のアピールにならないことも明白である。
女性が(人間という動物として)劣っているとは全く思わないし、少なくとも自分よりはできる人が多いと思う。しかし、「そう思われたい女性が頑張って」そう思われていけば良いのであって、社会問題として「男女平等」を説くことは間違っているのである。現に「専業主婦」になりたい女性大学生も多いし、「働くなら一般職」と言う女性大学生も含めると80%を超えると言われている。
逆に、「主夫になりたい」男性が何か活動をしているかと言われればそんなことはない、そういう層は一定層いて最近は増加傾向にあると見聞きしているが、「男は働くべき!」「なよなよしてそう」というあらぬ批判を受けることはあっても、「主夫応援!」というのはあまり聞いたことがない。
結局のところ、「女性優遇」をしておいた方が「色々と儲かる」のである。メディアにしても社会政策にしても、そうしておいた方が都合がいいのである。