waniwaniの雑記帳

自作PC/就活論/労働問題/大学生活/社会問題 などについて書きます

大学生活における「フリーライダー問題」について

約4年間大学に通う中で度々「グループワーク」の授業に参加することがあった。内容は色々だが、グループを作り何か一つのテーマについて調査・研究してプレゼンテーションをするというのが普通である。

 

前にも書いたが、大学生は楽をしたがる。私を含めて、ほとんどの学生が「いかに楽をして単位を習得するか」を根底に置いて授業を選択し、日々「代理出席」や「過去問トレード」をしている。

「グループワーク」の授業はまさにそういった学生にとって便利な授業である。なぜなら、グループワークは自分がいなくても成立するからである。そういった「ただ乗り」する学生のことを「フリーライダー」と呼ぶ。フリーライダーの考え方はこうである。「仮に自分がやらなくても、他のメンバーは『単位を取得しなければならない』という縛りがある。つまり、自分はサボっても良い。」とこういうことだ。

 

もちろん、フリーライダーを何らかの方法で排除しても良いが、その排除する権限を自分たちが持っているかどうかである。フリーライダーたちは勝手にサボり、それの責任を追求すれば「ごめんなさい」と謝ってくる、そして反省したかのように見せてまたサボるのである。こういうことに私は何度も立ち会い、被害を受けてきた。

 

フリーライドが不真面目な学生によって発生するとは限らない。先にも言ったとおり、多くの学生は勉強をしたくて授業を取っている人なんてほぼいないのである。どこかに「単位取得が楽だから」とかそういう単位についての条件付けがあるはずである。「この講義はめちゃくちゃ試験が難しいから単位取得は難しいけど、すごく勉強したい分野だから取ろう!」なんてことを考える学生は極々少数である。言い換えれば、わざわざ授業を取らなくても、単位の外で授業を受ければ良い話なのである。

フリーライダーは、一見真面目な学生だけのグループでも「1人のやる気ある学生」によって、「あ、楽できるじゃん、じゃあこれもお願い」という具合で創出されるのである。

 

フリーライドされる側は仕方なく「責任感」と「自分の単位」のために頑張る。自分だって、楽をしたいという気持ちを抑えるのである。その結果、楽な気持ちがプレゼンの出来に現れ、本来ならAだった評価をBやCに落とす。

フリーライドはどうしようもない。大学は義務教育ではない、グループワークをするよりも個々人がそれぞれ調べるほうが遥かに勉強になるのである。それがゼミナールであるが。

 

フリーライダーを排除するためには、心を鬼にするしかない。恨まれてもいいから教授に抗議をする、とかするべきなのである。小学生みたいな発想だが、フリーライダーは小学生以下である。仏の心で、本当にただの他人まで救ってやる必要はない。

フリーライダーは見返りを与えないから問題なのかもしれない。「単位欲しいけど、遊びたいから、1万円で休ませてくれ」なんてことだったら私も許容できるかもしれない。それがギブアンドテイクだと思うし、それが分からない人間はもう大学にいる意味すら薄い。社会勉強ですらない。

フリーライドが悪いわけではない、ギブアンドテイクができないことが悪いのである。

以上。