社会とネットの乖離性についての手記
建前と本音に近いような気がする。
「相手の思ってることが分かればいいのに」という想像を誰もがしたことがあると思う。例えば、ドラえもんのひみつ道具のように。
今、世界はそういう時代に入りつつある。めちゃくちゃ歪だが。
例えば、「電車に乗ってるおじいさんがしんどそうにしている」という状況で、建前の自分と本音の自分を客観視してほしい。
建前の自分「こちらの席どうぞ」「あの若い人譲ってあげればいいのにな」
本音の自分「しんどいのに外出するなクソジジイ」「老害はさっさと氏ね」
多少歪曲しているが、大体こうじゃないだろうか。もちろん、世の中には建前などなく生活している人も多くいるので一概には言えない。
インターネットの世界は本音の世界だ。匿名で書き込める「2ちゃんねる」を初めとしたソーシャルネットでは特にだ。
今の若い世代の人はインターネットに「毒され」すぎた。本音を知りすぎている。だからこそ夢を追いかけたりすることを「馬鹿らしい」とか「現実味がない」としてしまう。しかし、それがネット世界での「正義」であるから、自分を正当化できる。また他人からの承認も得られる。
このままでいいのだろうか。ひろゆき氏は「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」と言った。私はひろゆき信者ではないが、まさに的を射た発言だと思う。
本音を知りすぎた若者が夢を追わず、日本は、いや世界は衰退してしまうのだろうか。流石に言い過ぎだろうか。