waniwaniの雑記帳

自作PC/就活論/労働問題/大学生活/社会問題 などについて書きます

人生の目的

哲学的な話題になるが、人生の目的というか自分が成し遂げたいことが何かしらあると思う。例えば「家庭を持ちたい」とか「お金持ちになりたい」とか、私だったら「面白いアニメを作ってヒットさせたい」だったわけだ。

なんで「アニメを作ること」が私の目的だったかというと、元々アニメが好きだったというのもあるし、何かの場で制作秘話というかそういうのを語るのがカッコイイと思っていたからだ。もちろん、ヒットさせてお金が欲しいというのはあったが、別にお金が第一というわけでは無かった。

しかし、社会は甘くなく私はアニメ制作(製作)の道を閉ざされてしまった。厳密に言えば閉ざされてしまったわけではないが、あまりにもリスキーだから辞めた。それはそれで良かったのかもしれない。その程度で諦める者が無理やり業界に進んでも大成しないのは見えている。

7月はそのことで悩んだ。アニメを世界に届ける、アニメのプロデュースをする、ということは大学入学前からの夢の一つであった。だけども、大局的に見てここは引くべきだと思った。だからこそ今は銀行員というまた違う道に進もうとしているわけだし、ある意味では私を見捨てたアニメ業界よりも自分を(どういう理由かは定かではないが)欲してくれた企業で働くことはまた幸せの一つ(なのかもしれない)と思った。

元々、銀行マン、いわゆるバンカーになりたくなかったわけじゃなかった。ヘコヘコするのは得意だったし、利益のために頭を下げることは苦じゃない(と思う)からだ。それでいて、ある程度保証された身分と給与が得られることは私にとって魅力的であった。

以前にも話したとは思うが、私は中高男子校で(それを理由にするべきではないが)モテない男である。正直、女性との距離感は未だ掴めないが、それでも私なりに真摯に取り組んでいるつもりである。真摯に取り組むことがまた問題なのかもしれないがそれはおいておこう。ともかく、私の中には多分「女性にモテたい(愛されたい?)」みたいな感情が少なからずあるわけで、それを満たすためにはやはり家庭を持つということはほぼ必須事項なのである。

自分の名誉のために書くが、「家庭を持ちたいから好きになる」わけではなく、「好きだから家庭を持ちたい」というプロセスである。「好き」だからということは絶対覆したくないし、だからといってプライドを高く持とうともおもっていない。この辺はふわっとしているが、私にも好みというのものがあるし、誰でも良いというわけではないのである。

素の私を好きになってもらいたい、というのは希望の一つとしてあるが、そもそも素の私を知ってもらうための切っ掛けが無いのではなかろうか。いや、素の私を知れば引いていく者も多いのかもしれないが。なんにせよ、自分を知ってもらう切っ掛けとしてバンカーという肩書を付けたいというのは事実である。

何の肩書もない私を好きになってくれる人は少なくとも大学4年間ではいなかったように思う。相手にも好きな人がいたしそれは尊重したいから仕方ないが、それもまた私に大きく傷を残す結果となった。

まだまだこれからだが、社会人になるということは食い扶持は自分で稼いでいかなければならないということだと思っているし、どこかに属して働く以上は何らかの肩書はついてまわる。肩書も含めて私自身であることは間違いないし、ある種間違いかもしれない。それでも私は愛し、愛されたいのである。

乱文失礼。

貧乏学生が糖質制限をするらしい

お友達が糖質制限ダイエットをしたいと相談してきたから色々と書いておこうと思う。

そもそも「糖質制限ダイエット」略して糖質制限とは何なのか。これは読んで字のごとく「糖分」を一切取らないダイエットのことである。元々身体には脂肪としてエネルギーが蓄えられているのだが、糖分を取ると、そちらから先にエネルギーとして消費されるため、脂肪の燃焼が後手後手になり、代謝の悪い人は徐々に太っていく。糖質を制限すると、身体を動かすエネルギーを体内の脂肪を燃焼させることで作り出すため、結果的にダイエットに繋がるというわけである。くだらない雑学は調べて貰ったほうが正しいだろうからもう説明しない。

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糖質制限は簡単である。炭水化物や砂糖が多く含まれている食べ物や飲み物を摂らずに、タンパク質や食物繊維を中心に食べるだけだ。身近な炭水化物と言えば「米」や「パン」「うどん」「ラーメン」「パスタ」であるが、これらは総じて「主食」であるため、基本的に主食は食べれない生活になるのだが、それが最もキツイ。

そのため制約をつくる。例えばラーメンが好きなら週に1度か2度しか食べないことにしたり、朝は米を食べてもいいとか、だ。その他には肉はいくらでも食べてよかったり、とにかく炭水化物とジュースを抜きさえしていれば大きく問題はないと思う。

自分は以下のような食事メニューで糖質制限を行っている。

朝…米(1合くらい)(お茶漬けとかにして消化しやすくする)+プロテイン

昼…食べないor大量の野菜(根菜類は糖質が多いため避ける)

夕…鶏胸肉やササミなどの脂肪の少ない部位の肉+寝る前にプロテイン

どうしても朝は食べないと頭がボーッとしてしまうので食べるようにして、昼は食べても蕎麦(蕎麦は炭水化物が少ないのでOK)などにしていた。飲み物は烏龍茶か水かブラックコーヒー。夕食は筋トレを並行して行っていたので多めにタンパク質を摂取していた。

筋トレは学校の器具を使うことが多いが、使えない時は腹筋・腕立て・スクワット・背筋を20回ずつ3セットをローテして3日に1回程度全身が痛くなるくらいに行っていた。

面倒になったので以上。

譲り合い

先日、電車に乗っていた時に、マタニティマークのついたキーホルダーのような物をかばんに付けていた方が乗られてきたので、席を譲って、立ってる間に色んな事を考えた。ハンデがある人に助力するとはどういうことなのだろうか。

単純に「車内の席の譲り合い」で考えてみた。私は電車に乗っている間は何が何でも座りたい。しかし、老人や妊婦や障がい者が近くにいたら、「自分は大人として一つ立派なことをしたんだ!」とくだらない自尊心のために席を譲ることにしている。無意識的に席を譲るなんてことは聖人君子でもない私には到底不可能であろうし、きっと他の方もそうだと私は思う。

当然だが電車やバスには色んな人が乗っている。その中には、徹夜明けや仕事帰りのサラリーマンだとか、朝練や部活帰りの学生だとか、疲れている健常者も多数いるわけである。もちろんそういう人は目を皿にして空席を探して座ることだろうと思う。しかし、彼らは健常者である故に、目の前に老人や妊婦がいれば「席を譲る」という行為を(日本の)社会的に強制され、譲らざるを得ないのである。

基本的に大なり小なり疲れているのは皆一緒である筈なのに、なぜそれはハンデとして認められないのだろうか。もちろん実生活において日頃の疲れが大きく影響しているかは微妙であるから、その点で言えばハンデは少ないと言える。しかし、それが社会によって半強制されるのはまた理論が違うと私は思うのである。

強制される善意は一方でストレスを産むのではないかと思う。それがマタニティマーク女性専用車両などが「ズルい」と思われたり、悪用(?)されたりする原因の一つではないかと考えた。掘り下げていけば「生活保護」や「障害者雇用」なんかもその中に含まれていくのだろうか、などと考えたところで駅について考えるのをやめた。

ともかく、別に席を譲るのは勝手に個人が自己の尊厳のためにすればいいし、少なくとも僕は席を譲りたいと考えていますよ、ということである。

複数内定からの選択指標について

今回は就活を終えようとしている学生向けの記事になります。

きっと「就活を終わろうとしている」ということは、「第一志望(第一志望群)の企業から内定が出た」のでしょう。おめでとうございます、お疲れ様でした。ですがその企業が1社だけではなく、2社・3社とモテモテな君はどうやって自分の就職先を決めるのでしょうか。

本来ならそのランク付けは決まっているべきですが、現在の就活市場・学生市場的にはそういうわけには行かないでしょう。8月から「大手」と呼ばれている一流の中の一流である経団連所属の企業の選考が始まる訳ですからね。今、就活を終えるということは元々そこは見ていないということになります。

8月後半になり、ある程度内々定が出揃った時に企業から言われているのは「内々定を出すから他の企業の選考を終えてくれ」といったことだろう。ハッキリ言うと、これは守らなくても良い。元々、内々定には学生にも企業にも法的拘束力がないのである。企業も内々定は取り消しても良いし、学生も内々定を蹴っても良いのである。

そのため、内々定の段階であれば確実にそれを「蹴って」もいいと私は考えていますし、それはどこのブログ記事でもそう言っていると思います。どちらにせよ労働法的にも内々定拒否によって学生側が有罪になった判例はないため、今のところは大丈夫でしょう。

話がそれましたが、内定を複数持っていて単純にランクで決めるのもまた問題です。私は2社内定を貰いましたが、就職先として決めたのは世間一般的には年収も低く、ネームバリューも低い会社だと思います。

ではなぜそうしたのかというと、単純に出世が難しいと思ったからです。A社は30代年収1000万、B社は600万という数字で、どちらかと言えばA社の方が激務であり転勤地域も多彩(海外に及ぶ)でそのため高い給与という位置づけだったのですが、A社で出世(いわゆる役員及びその下)にいるのはやはり高学歴な人ばかりでした。私は世間的には学歴が高い部類かとは思いますが、それでもMARCHであるため、出世やそれを含めた生涯賃金を考えるならB社で出世を狙った方が賢いと考えました。

就活はゴールではありません。入ってからどうやって自分が上り詰めていくのかなど、具体的なビジョンが見える会社に入るべきだと私は思います。みなさんもよく考えて後悔だけは無いように就職先を選んでくださると幸いです。

教育ママゴン

たまには真面目な話題も。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

この知恵袋が話題になってるらしく、ネットニュースにも取り上げられていたので、僕も話題にしようかなと。

私はここまでスパルタというか「(私からすれば)行き過ぎた」教育はされてこなかったのですが、小学校中学年くらいの頃から「塾」とか「習い事」とかを徹底的にやらされていました。

月曜日は水泳、火曜日はパソコン(オフィスの使い方)、水曜日はピアノ、木曜日は習字、金曜日は塾(受験のため)、土日は離婚した父の家に逃げる。この生活を小学生の間はほぼずっと続けていました。

高学年になるにつれ、上達の遅かったピアノを辞め、同様に習字を辞め、塾が増えていき、土日も塾の講習で逃げ場が無くなっていった結果、私自身も成績が下がっていきました。

結果的に、一応「進学校」と呼ばれるような中学・高校(一貫校です)に進学はできましたが、入学してからもこういった教育は続きました。吹奏楽も「成績が悪い(200人中50番以内ではない)なら辞めろ」と言われ、仕方なく成果が上げられなかった私は辞めることを余儀なくされましたし、大学受験が近づくにつれ、どんどん塾や家庭教師の時間が増えていきました。

結果的に、浪人したものの今は一応(世間的には)一流の大学に通っています。でも、「あの時、いやいやでもやらされて良かった」なんてことは思わないのです。

母の教育方法を肯定するわけでも否定するわけでもありませんが、自分の思いをそのまま子に押し付けるやり方はどうなのだろうかと思います。私は(運良く?)小学生時代から勉強をきちんとすればそれなりの成績になったので良かったですが、知恵袋の方のお子さんはそうではないのかもしれません。

私は度々、母親からDVを受けてきました。勉強をしなければ叩かれたり、物を壊されたりなんていうことは当たり前でした。今までに母が真っ二つにした携帯電話は十数台に及びますし、母にガムテープでぐるぐる巻にされたこともありました。それでも私は「子供」でしたから、母の指導を受け入れる他ありませんでした。

とにかく母は「行き過ぎた成果主義」でした。成績が上がれば甘い蜜を吸える、次回はもっと好成績を出さないと怒られる、求められるのは「一位」のみ。とにかく母は「一位」に拘りました。

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どういう教育が正解なのかは誰にも分からないと思います。先に上げた知恵袋のような教育も間違いではないのかもしれませんし、私の母の教育も間違っていないのかもしれない。「結果的に」大人になって苦労が無いことが正解なのか。それは誰にも分からないのです。

当事者ではない人ならなんとでも言えます。「お前の教育は精神的DVだ」とかなんとか、いくらだって言えますね。でも自分の子が「お馬鹿」だったらどうするのでしょうか。「焦らず勉強しようね~」なんてことでは悠長なのではないかと思うのではないでしょうか。母のようにヒステリックになって「行き過ぎた教育」をしてしまうことも分からないではないのです。そしてその教育が間違っているとも言えないのです。

ただひとつ言えるのは、もう少し子供の立場になって考えてあげたいなということです。可能なら一緒に遊んであげたり、他に夢中になれそうだったり、才能があるだろうことを見抜いてあげたり、色々あると思います。母はそれに関しては周りの子よりも私に配慮してくれたのかなとは思います。

ゆとり教育だとかがもてはやされましたが、結局「個性」が評価される社会にはなりませんでした。評価されるのはとにかく「学歴」や「スキル(医者だとか弁護士)」です。なので、勉強に対してストイックであることは大切であると私は思います。

私は「飴と鞭」で勉強をしてきましたが、それでは多くの人は歪んでしまうと思います。実際私は歪んでいますし。

重要なのは結局「勉強をすること(させること)」ではなく「勉強のやり方(やらせ方)」なのではないかなと私は思います。

以上