waniwaniの雑記帳

自作PC/就活論/労働問題/大学生活/社会問題 などについて書きます

ネット規制は必要なのか?

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例えば、ドラえもんひみつ道具のように「相手の思っていることが分かればいいのに」という想像を誰もがしたことがあると思う。

今、世界はそういう時代に入りつつある。めちゃくちゃ歪だけど。

 

例えば、「電車に乗っているおじいさんがしんどそうにしている」という状況で、建前の自分と本音の自分を客観視してほしい。

建前の自分「こちらの席どうぞ」「あの若い人譲ってあげればいいのにな」

本音の自分「しんどいのに外出するなクソジジイ」「老害はさっさと氏ね」

極論すぎるだろうか。もちろん、世の中には建前などなく生活している人も多くいるので一概にこうだとは言えないものの、ある程度こういう感情を持っている人もいると思う。

 

インターネットの世界は本音の世界だ。匿名で書き込める「2ちゃんねる」や「ツイッター」を初めとしたソーシャルネットでは特にそうだ。

 

今の若い世代の人はインターネットに「毒され」すぎた。他人の本音や社会の本質を知りすぎている。だからこそ夢を追いかけたりすることを「馬鹿らしい」とか「現実味がない」としてしまう。しかし、それがネット世界での「正義」であるから、自分を正当化する。できてしまうのである。そして正義であるが故に他人からの承認も得られる。

いや、他人の承認を得ようとするとまた「叩かれる」だろう。人間って成功するように応援したいよりも、失敗する人を見たい、そして悦に浸りたい性格だから(僕も毒されている)。

 

このままでいいのだろうか。ひろゆき氏は「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」と言った。私はひろゆき信者ではないが、まさに的を射た発言だと思う。本音を知りすぎた若者が夢を追わず、日本は、いや世界は衰退してしまうのだろうか。流石に言い過ぎだろうか。

 

かといって、法律でインターネットを何らかの形で規制するというのは疑問である。私自身はネット利用に年齢制限を設けることに基本的には反対しない。しかし某テレビ番組で討論していたように、SNSの利用に際して自身の個人情報を記載することを義務付けることについては賛成できない。その番組でひろゆき氏や堀江貴文氏が発言していたように、ユーザーサイドでもサプライヤーサイドでも、いくらでも抜け道があるし、そういうサービスを利用しなくなるだけなのである。やってみないとわからないが、私自身はそういうサービスを使いたいとは思わないし、使いこなせないと思う。

 

ネットに年齢制限をかけることで一定の効果があると私は考えている。例えば18禁の雑誌やビデオなんかと同様に。その制限を誰がかけるかが問題なのである。親なのか、学校なのか、法なのか。

 

よく「親は子供にスマホやパソコンを買い与えるな」と言われている。たしかにその通りであるが、実情は難しい。今の中高生は、スマホやパソコンがなければ学外でコミュニケーションが取れないのである。昔は家の電話に「◯◯くんはいますか」と言えば良かったが、そういう文化はもうない。

 

生徒の多数がスマホやパソコンを所持し、それらを利用した情報伝達を行っているのである。スマホを持っていないからいじめられる、ということは無いだろうが、所属のコミュニティからの疎外感を感じてしまい、他者との距離感を感じてしまうのは必至であろう。

 

コミュニティから外れることの怖さは日本人なら誰もが知っている。だから「みんな持ってるよ」という言葉に日本人は弱いのであり、それに対してある種の恐怖を感じている。そして自らデメリットを知りつつも、見ないふりをしていざ問題になるとあらぬところに規制を求める。

 

脱線したが、両親が買い与えなければ良いという問題ではないのである。「特定のアプリしか使えない」ようにだとか、そういうスマホやインターネットとの上手い付き合い方を学ぶべきだし、徹底的に教えるべきなのである。その中でネットリテラシーは育まれていくものであるのだから、そこからきちんとしていくべきだ。

 

以上