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ぼっちの小部屋

フリーライターの雑記帳(不定期更新)

「貸与奨学金制度」は日本社会の抱える闇なのか

2015年度の(短期大学を含めた)大学進学率は遂に男女合計で56.5%にも上った。2001年度が48.6%だったのに対し、約15年間で約10%の伸び率である。こんなにも多くの人が大学(短期大学)に進学する目的は一体何なのだろうか。

就職問題について取り組んでいると、どうしても「学歴差別」について触れることがある。ここで言う学歴差別はMARCHや早慶上理などの別で行われる「学校差別」ではなく、いわゆる「高卒(もしくは中卒)者」と「大卒(短大卒)者」の別で就職希望者を振り分けることの事を指す。バブル崩壊以降、とりわけ大学進学率が40%を超えた2000年台からこの差別は顕著なものになっていった。

なぜ「大学進学」が当たり前なのか。極端な言い方をすれば、大学進学する人が多数であるからである。無難な事を言えば、大卒者は当然に高卒者よりも高いレベルの教育を受けているからだ。すなわち、大卒者であれば、高卒者よりも多くの知識量や高い論理力を備えている(可能性がある)。そのことを考慮すると、やはり高卒者を含めた就職希望者全体を採用分母とするよりも、大卒者のみで構成される就職希望者を採用分母とする方が会社にもメリットがあると思われる。

高卒者が使えないと言っているわけではない。学校差別の問題でも似たような展開をしたが、母集団としての高卒者にはやはり「勉強ができない(=努力ができない)」人が存在しており、それがおそらく多数であると推察される。そういった現状があるのにも関わらず、高卒者をわざわざ雇用しようとする企業は多くないだろう。もちろん、高卒者は大卒者に比べれば一般的に低賃金で雇用でき、大卒者ほど昇給しなくても良い。これは元々大卒者が「幹部候補」として採用されてきた歴史からの流れを汲んでいると思われる。しかし、今やそれが全入時代を迎え、溢れかえった大卒者の影響で崩れているのである。

大学進学を考えるうえで、避けて通れないのが「学費」である。日本はまだまだ奨学金制度に対して世界的に見ても整っているとは言い難いのが現状だ。ただ、貸与型の奨学金にしろ給付型の奨学金にしろ、給与だけの面で見れば大卒者の方が平均生涯年収は高いのが日本である。それは学費を考慮しても大きく差がある。

男性の生涯年収は学歴別で「中卒者→1.7億」「高卒者→1.9億」「大卒者→2.5億」、女性も「中卒者→1.1億」「高卒者→1.3億」「大卒者→2.0億」となっている。高卒と大卒では男性で6千万、女性で7千万も差が出ている現状である(※労働政策研究・研修機構「ユースフル労働統計2014」より抜粋)。

私立文系大学の学費は約450万円、私立理系大ならば約520万円である。これらの金額を差し引いても大卒者の方が生涯年収単体で見れば「お得」であるのが今の日本である。当然、ここには卒業大学の別による生涯年収の差は考慮してないため、必ずしもお得になるとは言えないが、全体としてこういった現状があるのは認識していただきたい。大学に行くほうがお得であるならば、奨学金を借りてでも大学に行こうと思うのは当然のことであると推察する。

奨学金制度はそもそもとして「大学に進学したいけど、金銭的な都合でそれが不可能」な人のための制度であることは認識していると思います。当然、社会の標榜として「平等」を掲げるならば、それぞれの家庭の金銭的な事情は個々人の意思からは切り離して考えられるべきであるし、進学したいのに進学できないという生徒は少なくなるようにしなければなりません。そういった観点で言えば、日本の奨学金制度は割りに合ってると言えるのではないかと私は思います。決して「闇」ではない。

奨学金制度が充実しているかは差し置いても、「大学に進学して◯◯の勉強をして△△の仕事をしたい」という夢は当然に叶えられるようにできているのです。ただ、大学入学を希望する学生のどれくらいがこんな意思を持って大学に入学していくのかは把握しかねます。多分、私がそうであったように他の学生も「ただなんとなく偏差値が自分にあってて、勉強したいなと思った学部に進学した」という人が多数で、そこには「高卒で働く」という選択肢はそもそも考慮に無かったのではないかと考えています。

先ほどの例でも「△△の仕事で奨学金を返せるような給与を得られるかどうか」や入社した先がブラック企業だった場合、なんていうことはそもそも考慮に入っていないのではないでしょうか。というか、そういうことを考えさせることができていないのではないでしょうか。「たかが高校生」にそんなことを考えさせる必要があるのか、という疑問はありますが、私は必要があると思います。お金を借りるってそういうことじゃないですか。借りたお金は返さなきゃいけないっていうのは中学生でも分かる理論です。今は親が自分を養ってくれてるけど、社会人になったらそうはいかない。自分で働いて稼ぐというのが基本的な社会人だと私は思います。

イケダハヤトさんは、「借金をするときに、借金を返せる目処が立つことを、学生が完ぺきに予見すべきだ」というのは無茶な要求だ、と言っています。もちろんイケダハヤトさんが言うように、奨学金を借りるときに「自分は4年後、100%就職できて、心身を病むことなく働きつづけ、完済することができる」と確信を持てる人、なんているはずがありません。それは私もそうです。私だって、奨学金を借りるときにそんなことを考えたことは無いですし、今だってキッチリ返し切ることができるかは不明確で、言ってしまえば不安です。

貧乏人なんだからそういうこと(金を借りてまで進学すべきかどうか)を考えるべきだ!という意見もありますが、それは全く違う。貧乏人はそういうことを考える必要に迫られて、そうじゃない人はそういう心配なく生きることができるという社会ってなんだか「嫌」ですよね。

ただ、だからといって考えるべきではないかと言えば違いますし、「よく考えずに借りたけど返せない」というのは客観的に見て許されることではないです。「よく考えて借りたけど、やむを得ない事情があって結果的に返せなくなった」という人のみが考慮されるべきであって、借りたものは返さなきゃならないというルールだけは覆すことができません。やっぱり、考えるくらいのことはしなければならないのだと思います。

私は、奨学金制度に問題があるのではないと思います。「金銭的な事情で進学ができない人にお金を貸せるという制度」が問題なのではなく、「大卒でなければ(全体的に見て)まともな就職口が無くなってしまった」ということが問題だと感じます。それは先述しているように、あまりに大学進学率が高まっていることが要因の一つとして挙げられます。

また、大学でも高学歴とそれ以外では明らかに就職に差があることも問題です。折角、「大卒の資格」を得るために借金をしてまで(一流ではないけれどソコソコの)大学に入学したのに、待っていたのは「学歴フィルター」だった。というような話は就職活動を経験した人ならば誰でも察しがつくことです。それほどまでに日本は個人の能力を「学歴(学校歴)」によって区別しているのです。私は以前、学歴で差別はされるべきだと言いました。ただそう思う一方で、それが偏ってしまって神格化されてしまうのは如何なものかとも思うのです。

いつもそうですが、学校差別に理論が集結してしまって面白くないのですが、極端に言えばやっぱりそうなんだと思います。今の日本社会はあまりに「大学新卒」を神格化しすぎている。「大学新卒の方が使える(可能性が高い)」ではなく、「高卒だろうが大卒だろうが、使えるやつが使える」というのが良いわけです。つまり、仕事の成果による報酬を充実させるべきだと私は思います。そこがまだまだ日本には改善の余地がある。少なくとも、奨学金制度にはまだ触れなくて良いのではないかと思います。