waniwaniの雑記帳

自作PC/就活論/労働問題/大学生活/社会問題 などについて書きます

誰のための税なのか

ということを堀江貴文こと、ホリエモンは言っているのだが、私もこれには賛成している。別に「障がい者が嫌い」とかそういうことではなくって、単純に「(例えば)障がい者が働くのに、働く以上の税金が掛けられているから無駄だ」ということが言いたい。今の日本社会は無駄が多すぎる。米国は無駄が少ないとかではなくって、色々なところに媚を売ろうとした結果、現代社会にマッチしてないシステムが多すぎるのである。

生活保護問題や労働者が足りないから移民を受け入れるだとか大概おかしいと思う。嫌な言い方をすれば「社会のお荷物を優遇するのは可怪しい」と思うのである。だが一方で「平等」という価値観は資本主義の超根底にある標榜であるし、それが忘れられた時に資本主義は資本主義でなくなる事は前にも記事にしたとおりである。

なにも、ハンデのある人を助けるな、と言ってるわけではない。この前の「電車の優先席」の話でもそうである。勝手に助け合えばいいのである。「助ける価値観」が認められるのと同様に「助けない価値観」も認めなければならない。「助けること」が正義で「助けないこと」が悪、という意識がそもそもおかしいのではないだろうか。

こういう話をすると、「お前がハンデを背負ったらどうするんだ」と言われる。だが私は現時点で大きなハンデなどないのである。その人の気持ちになって考えろ(ものを言え)などと言われても、「最低限社会に迷惑をかけないように、出来る限りのことをする」以上の答えを持ちあわせてもいないし、むしろそれ以上の答えが必要なのかどうかも分からない。

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なぜ日本にはお金がないのか。それは健常者以外への社会保障が厚すぎるのではないかというのが私の一意見である。もちろん政治家が金をもらいすぎだとかそういう話も最もであるが、実際問題消費増税3%分の行方は「社会保障」に消えているのだ。でもそれを私のような一般人は正直1ミリも実感できていない。それは医療機関などの社会保障機関を頻繁に利用するのは老人や障がい者などのハンデのある者であるからではないだろうか。

そういう人を排除しろとは言わないし、排除したいとも思わない。しかし、本当の意味で「平等な」社会保障のあり方を今一度考える必要があるのではなかろうか。