waniwaniの雑記帳

自作PC/就活論/労働問題/大学生活/社会問題 などについて書きます

譲り合い

先日、電車に乗っていた時に、マタニティマークのついたキーホルダーのような物をかばんに付けていた方が乗られてきたので、席を譲って、立ってる間に色んな事を考えた。ハンデがある人に助力するとはどういうことなのだろうか。

単純に「車内の席の譲り合い」で考えてみた。私は電車に乗っている間は何が何でも座りたい。しかし、老人や妊婦や障がい者が近くにいたら、「自分は大人として一つ立派なことをしたんだ!」とくだらない自尊心のために席を譲ることにしている。無意識的に席を譲るなんてことは聖人君子でもない私には到底不可能であろうし、きっと他の方もそうだと私は思う。

当然だが電車やバスには色んな人が乗っている。その中には、徹夜明けや仕事帰りのサラリーマンだとか、朝練や部活帰りの学生だとか、疲れている健常者も多数いるわけである。もちろんそういう人は目を皿にして空席を探して座ることだろうと思う。しかし、彼らは健常者である故に、目の前に老人や妊婦がいれば「席を譲る」という行為を(日本の)社会的に強制され、譲らざるを得ないのである。

基本的に大なり小なり疲れているのは皆一緒である筈なのに、なぜそれはハンデとして認められないのだろうか。もちろん実生活において日頃の疲れが大きく影響しているかは微妙であるから、その点で言えばハンデは少ないと言える。しかし、それが社会によって半強制されるのはまた理論が違うと私は思うのである。

強制される善意は一方でストレスを産むのではないかと思う。それがマタニティマーク女性専用車両などが「ズルい」と思われたり、悪用(?)されたりする原因の一つではないかと考えた。掘り下げていけば「生活保護」や「障害者雇用」なんかもその中に含まれていくのだろうか、などと考えたところで駅について考えるのをやめた。

ともかく、別に席を譲るのは勝手に個人が自己の尊厳のためにすればいいし、少なくとも僕は席を譲りたいと考えていますよ、ということである。