サークル運営は大変だ
自分自身、サークル活動をしていた時期があった。大学1年次から2年次終了まで約2年間在籍し、約半年ほど役員と呼ばれる運営幹部も担当していた。
愚痴が混ざるのだが、役員は本当に不真面目というか可怪しかったように私は思う。遅刻や欠席は当たり前だったし、運営費が足りないからと「役員会費」というものを伝統的に役員が支払い続け、実質的な借金経営をしていたのである。少しでもサークル活動に出れば「会費を払え」と恐喝まがいのことをするし、会室に会員が入りきらないため「溜まり場」と呼ばれる場所を本来はサークルによる席取りをしてはいけない食堂で行ったり、などキリがない。
止められなかった私も私であるが、こういうことに対して誰もが「仕方がない」という意識でやっていけるのがすごいなという印象が強かった。私はそれらに対して全くもって良い印象は無かったし、いくら「自分たちは平日毎日練習をしていて」とかなんだとか理由をつけようとも、中身は真っ黒であるのだから。
こういうことがあり、副会長という立場ではあったがサークルを辞める決意をし、実際に辞めたのだが、当時の役員は私を除き結局最後まで役員を続けた。金銭的に続かない、続けられない理由もあり仕方がなかったが、お金がかかること以上に精神的負担が大きかった。
私は至極真っ当なことを言い続けたと思う。「お金が足りないなら会費を上げるべきだ」とか「採算の取れないイベントは統廃合したらどうだ」とか「会室を片付けろ」だとか「平日の昼間は授業があるんだから練習をさせても人が集まらないから減らせ」だとか。散々言ったと思う。結局何一つとして「上の代(元役員)」から許可が下りたことは無かった。それら全ては「面倒だから」というクソみたいな理由で一蹴され、出来る限り一人でケリを付けた記憶がある。自分が動けば周りも動くと思った。
けれども現実は甘くなく、誰も動かない。影で賛同はしてくれても、結局は周りの目を気にする故に動こうとはしないのである。周りの評価が大切なのはわかるからそれは別に気にしていない。
「社会にでると失敗に責任を取らなければならない」とはよく言ったもので、その失敗を先に経験するためにサークルやゼミをやるべきだという論調があるが、一部の大学生はその意味を取り違えているのではないだろうか。
「失敗してもいい」というわけではないのである。彼らは、少なくとも私の所属サークルでは、「失敗することこそ美学」みたいなところがあったように思う。敢えて失敗する道を歩み、それが成長に繋がると思い込む(思い込まされる)。一種の宗教である。
団体行動が苦手なわけではなかったが、如何せん私の意識と周りの意識に差があったのはまた事実である。これからは歩調を合わせて生きようとこの経験から学んだのだった。