waniwaniの雑記帳

自作PC/就活論/労働問題/大学生活/社会問題 などについて書きます

オトナになるということ

小池一夫氏のツイッターでの発言が物議を醸している。

確かに一理どころか、我々の言い方(我々って誰だか分からないが)をすれば「百理ある」。今、多様な価値観を認める動きが盛んであるのだ。結婚するもしないも自由、子供を作るも作らないも自由、フリーターになるのも正社員になるのも自由、自分が求めるなら努力次第で基本的には到達できる、そういった世の中だ。日本人は今やっと眼に見えない規律から逃れることができた。

一方で、その規律に縛られてきた人たち、つまり今の団塊前後の人たちは今の若者が疎ましいのだと思う。自分たちが「普通」だと思わされて半ば強制的にやらされてきたこと、例えば大人はゴルフをして、釣りをして、年賀状を書いてだとかそういったことが今では「別にしなくてもいい、個人の自由」だとされているからだ。

他人の目を気にする必要が無くなっているのである。個人主義、それこそが今の日本文化である。

しかし、これが何をもたらすのか。先にも言ったとおり自分のことばかり考える大人(成人)が増えたように感じる。それは既婚率や少子化にも現れているのではないだろうか。「結婚のメリットがない」というのは、結婚という鎖に縛られたくないということである。いや、そもそも鎖という表現自体が間違いなのではないだろうか。

一時代前は、結婚すること、つまり家庭を持つことが「立派な大人」の条件の一つであった。家庭を持てるということがステータスの一部であり、一部では出世の条件であった。しかし今はそうではない、出世の条件はただただ成果を上げることである。

話が逸れたが、この発言に対して「老害」であるとか、的外れだと言うのはまた筋が違う。多様性を受け入れるならば、小池氏の発言こそ「多様性」として受け入れていくべきなのである。またそれを自分が受容するかどうかは別問題。

私は食事中にコーラを飲むことはほとんど無かったし、今後課金ゲームなどに精を出すこともないだろう。それこそ大人のフリをしたいからである。社会に出て見た目だけでも、振る舞いだけでも、大人として認めれられたいのである。他人に認められて、できるだけ生きやすく生きることが私の人生だと思う。

駄文でしたが。終わります。