waniwaniの雑記帳

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学歴差別がなぜ問題になるのか(学歴差別と学校差別)

どうして学歴差別が問題になり、度々取り沙汰されるのだろうか。

ウィキペディアによると、学歴差別には以下のような問題が存在するらしい。

第二次大戦後の日本における学歴差別の根本は、もっぱら「中卒者に対する差別」にあり、「中学校を卒業すれば、全員が(当然のように)高校へ進学する」「高校に進学しない人は能力も低い」「学歴が低い者は10代のうちに努力をしなかった」といった、根拠のない偏見や「高校が義務教育である」と決めつける、「誤った前提」で成り立っており、「本人の責任がないにもかかわらず、高校へ進学できない人」に対する事情が無視されており、中卒者を無条件に軽侮するなどの差別が横行している。

しかし、この学歴主義者の主張する前提には整合性が欠けており、つまりそこには、「実力はあるけれど学歴は低い人」や「『親』『家庭環境』『出生地』など本人が選べない理由によって、高校に進学できなかった人(または自主退学を余儀なくされた人)」がいることと、「中卒者全員が高校に進学できるとは限らない(あるいは進学を希望するとは限らない)」「(現状の制度では)高校を義務教育とする、法的根拠がない」などの現実を無視している。言い換えると、『親』『出生地』など教育以前の問題を無視している。

上記のように想定されうるパターンとは別の可能性が存在するにも関わらず、特定の人を無条件に差別する行為は極めて危険である。正当な根拠もなく「中卒者は能力も低い」と決めつける内容は、「肌の黒い黒人は犯罪を起こす」「女は就職しても、いつか産休などして会社に迷惑をかける」などといった、ステレオタイプな差別となんら変わりのないものである。

学歴差別 - Wikipedia より引用

 ウィキペディアから得た情報が一般的な正当性を持つかどうかはまた別問題として、「中卒者(今となっては高卒者も含めて)に対する風当たりの強さ」については確かに差別をされているというのは主観的には極めて正当性が高いと感じる。

これも一種の「学歴差別」であるし向き合っていかなければならない問題ではあるが、今私が問題としたいのはこういった「中卒(高卒)者が差別を受ける」といった状況ではなく、「大学のランク」によって(不当な)差別を受けること。すなわち「学校差別」のことなのである。

 

私は前回『「学歴差別」はよくないのか』という記事で、学歴差別(学校差別)は別に悪いことではないとしました。一方で、一部の採用担当者が「学校の名前」だけで多くのいわゆるFラン大の就活生を不当に落としている事実もあり、それはそれで問題であると感じているのです。

もちろん採用担当者の立場になってみれば、何千人もの志望者一人ひとりを精査し(言い方は悪いが)振り分けることは人員・費用・時間的に厳しい面があると思う。だからこそ、学歴フィルターという便利な方法を用いてある程度の人数まで志望者を減らすというのは一面的に正しいことと思う。

学歴フィルターの機能について説明しておくと、学歴フィルター及び学校フィルターとは「学校名(大学名)によって、セミナー・説明会・エントリーなどの実施をシステム的に遅延させたり、禁止させたりすること」を言う。企業が学歴フィルターを用いる具体的なメリットは「効率の良さ」である。学校別の母集団毎に見た「優秀」な就活生の比率はある程度決まっており、それは統計的・経験則的に正しいことだ。それ故、先に話した通り採用に力を注げない(注ぐ方向にない)企業は学歴フィルターをやむを得なく用いるのである。

採用担当者の多くは、個人レベルで見ればある上位大学の学生よりも下位大学の学生が能力的に優秀なこともあるが、大学という母集団で見た時はどうしても優秀な学生の「比率」は上位大学と下位大学では差ができてしまう、と考えているだろう。

 

ここで問題にしたいのはそういうことではなく、「大学のランク」によって不当な差別を受けることが問題なのである。

いくら個人レベルでは違うという認識があったとしても、潜在意識として「◯◯大学出身なら馬鹿だろう」という認識だとそれをひっくり返すことからはじめなければならない。つまり(学歴フィルター無しに)スタートラインがそもそも違う、劣っている可能性が高いということが「学歴差別」が問題になる理由なのである

先に話したとおり、採用担当者の多くはそういったステレオタイプばかりではないと願いたいが、そういった差別が水面下であるのは間違いないのである。だからここまで問題になっているのだろう。

採用担当者及び採用に関わる人には学生の選別に対してより慎重になってもらいたいし、それが企業のためにもなるというものだと私は思う。

以上