waniwaniの雑記帳

自作PC/就活論/労働問題/大学生活/社会問題 などについて書きます

教師が苦手な理由

初めに書いておくが「私は違う!もっと生徒のことを考えて…云々」とかいうのは反論は受け付けないのでよろしく。

 

私は中学受験を経験している。中学受験では内申(いわゆる「あゆみ」)を配点の一部にしている学校が結構ある。先日、小学校6年生の弟の受験が終わったのだが、やはり県内トップ校にかぎらず内申書の点数は20%くらい考慮されているようだ。

落ちているので自慢でも何でもないが、私は県内トップの中学に入学できる実力はあった(と思う)。塾の内部テストや模試では常に上位50位(同級生250名以上)に入っていたからだ。ではなぜ県内トップ校に入学できなかったのか。上位2校とも「補欠」という結果に終わったのか。理由は前述した内申書だと私は考えている。

内申書に悪口ばかり書かれていたのだった。

どんなことを書かれていたのかは全く覚えていないが、とりあえず「私の目につくところ」をやんわりオブラートに包んで書かれていたことは明確に覚えている。内申書の配点がある以上そういうことをされると非常に困る。目立って素行の悪いことをした覚えはないし、小学校のテストは満点以外を取ったことがない。クラスの人からハブられていた時期もあったが、それは転校当初のことでタイミングが悪かったとしか言いようがない。スポーツは苦手だったが、できるだけ頑張った。だが、内申書には良いことはほぼ書かれていなかった。

小学校教諭は何を見ているのかが分からない。「絶対評価」という主観的な評価にはこういった問題がある。もちろん、内申書に書いてあることは間違ってはいない。事実であることを受け入れないわけではないが、物事には書きようがある。中学受験をすることを知っていたのにもかかわらず、それが受験に対して大きな影響を与えることも分かっていて、内申をいたずらに悪く書くというのは些か問題があるように思う。

 

2つ目の理由。

先述したが、ハブられていた時期があった。というのも小学校5年生の林間学校が終わった時期には既にグループのようなものはできており、そこへ僕が入っていくのは難しかったからだ。周りが林間学校で云々という話に全く入っていけないし、流行っているゲームや遊びも全く違った。スポーツが苦手で、とりわけサッカーは特に苦手だったためサッカーの輪にも入りにくかった。

更に「帰りの会」とかいう謎の会もぼっちに拍車を駆けた。「いじめの一貫なのかもしれないが」してもいないことを「やなPくんに◯◯されました、謝ってください」とか言われるのだ。もう手がない。

やはりというか、そのうち孤立してしまった。

もちろん担任はこのことについて既知であったが、何らかの行動はしてくれなかった。優しかったというより、親身に話を聞いてくれたのは保険教諭か校長しかいなかったように思う。というか、僕以外にいじめられてたのが担任だったため、校長先生にあることないことを言って(セクハラされたとか顔が気持ち悪いとかそういうのだったと思う)6年生になって担任が変わった。

担任が変わってから、すぐに問題に対処をしてくれたのだと思う。いじめられることもなくなった。ある時に、いじめっ子が家に来て「今までごめん、これからは仲良くしよう」と言ってくれたくらいである。何が彼らをそうさせたのかは分からないが、解決したのだからそれで良いと思う。

 

3つ目の理由があるが、面倒だし、嫌いだった理由が思い出せないので書けない。

「あゆみ」に有る事無い事を書かれて、親にブチ切れられて外に出されたような記憶がある。信じてくれない親も親なのだが…。

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それぞれに目指す教師像というのはあると思うが、社会人として・教育者としての自覚を持って欲しい。生徒のことを考えられるのが教育者ではない。生徒に教えることができるのが教育者。「みんなで頑張る」とか教えるのは結構なことだし、個性を伸ばすのも好きにやって欲しいが、みんなで頑張れば足を引っ張る人もいるし、個性を伸ばせば短所だって目につくのだ。人は神様ではないから、人に教えることは完璧にはできない。だからこそ教え方には気をつける必要がある。

教育は奥が深い。正解はないし、不正解もないのである。 だからといって、あえて我を通すことで生徒の選択肢を潰すようなことはするべきではないのである。少なくとも、最長でも人生のうち6年間しか一緒に過ごさない人にそんな権限はないと思う。

以上。